教えは感性で感じればよいのです。
感性はすでに日本人として生まれ、育った中に眠っているものであり、磨くものでもあります。
ただ、どう感じるか、問いかけ、じっと考えてみればよいのです。
感性のままに、そのまま感じとれるようになるだけで、心は軽く、安らかななります。
実は私たちは人の心も、自分の心すらもはっきりと見えなくなります。
イライラしてきたり、急に怒りが湧いてきたりとき、自分の気持ちが見えなくなっています。
或いは、なぜわかってくれないのか、何を考えてるか分からないと不安になります。
なぜ、イライラしてるのか、なぜ怒りが湧いてくるのか、相手がなぜ違う受取り方をしたのか、なぜ私と違う考え方をするのか。
心を見えるようになると、その答えがでます。
その答えがはっきりと見えた時、怒りも忘れ、不安も無くなり、霧が晴れ、波が鎮まったように、心が落ち着きます。
生活においても仕事においても、人間関係に関わらず、人の奥底、物事の深みを見透す視点を持つことが、感性を磨く意味です。
人の一生に想いを馳せ、手を合わせる自分自身の心の動きに思いを寄せてみると、本心が見えてきます。